1994年(平成6年)   ・小式澤、関谷、関川の3名の従兄同士で有志の会を設立し、当初フルーツカントリー越後という名称で郵パック等の産直の販売を始める。


1997年(平成9年)   ・メンバーの関川の義兄で三友会の吉田氏、丸一新潟青果(株)故津野氏の仲介でイオングループの当時ジャスコ新潟青山店で幸水梨の生産者表示(産地)での販売が行なわれた。この時から名称をみつば会と改名し、その後の豊水梨~ル レクチェまでシーズンを通して出荷を行う。


1998年(平成10年)  ・新高梨の出荷に合わせ、初めてオリジナルデザインの出荷用段ボールを作成し、以降全ての品種の段ボールを段階的に揃えていく。


1999年(平成11年)  ・生産量増に伴い、長岡中央青果㈱を経由して、丸一新潟青果㈱長岡(営)に全品種・全規格の出荷を行う。


2000年(平成12年)  ・県の園芸複合アタック支援事業(水田→果樹園に転換)で、個々の栽培面積を拡大する。


2002年(平成14年)  ・県内の一部の生産者の無登録農薬の使用が発覚し、新潟県内の農協は幸水梨の出荷停止を決め、当時産地は過去に例の無い大混乱が生じた。しかし、みつば会は当時のイオン㈱、丸一新潟青果㈱の当時の担当者様のご厚情にあずかり、何とか出荷を行うことが出来た。


2003年(平成15年)  ・この年から、丸一新潟青果㈱の担当者増井氏の異動に伴い、新潟市中央卸売市場内に出荷

先を移す。ル レクチェのオリジナルの化粧箱を作成し、イオン㈱のお歳暮ギフトに日本梨と併せて参入する。イオン㈱幕張本部で初めてル レクチェの販売会を行う。


2004年(平成16年)  ・梨工房みつば会と名称変更する。出荷量も増え、中古ではあるがフォークリフトを新に導入する。


2006年(平成18年)  ・10周年記念大会を開催。(ワシントンホテル燕三条)


2007年(平成19年)  ・念願の集出荷場を建設し、竣工式を行う。ル レクチェのギフトの受注数が4,000ケースに達する。新潟市江南区に移転した新潟市中央卸売市場へ視察研修会


2008年(平成20年)  ・佐渡市羽茂へル レクチェ視察研修。


2010年(平成22年)  ・ル レクチェのギフトの受注数が5,000ケースに達する。


2011年(平成23年)  ・イオンリテール㈱北陸信越カンパニー事務所でル レクチェ勉強会に参加。7月に新潟・福島豪雨が襲い、河川敷の果樹園に甚大な被害を受ける。


2013年(平成25年)  ・ル レクチェのギフトの受注数が過去最高の5,800ケースに達する。市単補助事業を活用しフォークリフトを入替導入。


2014年(平成26年)  ・出荷場事務所を新築する。


2015年(平成27年)  ・20周年記念大会開催。


2017年(平成29年)  ・バックホー新規導入


2021年(令和3年)   ・出荷場増築(ルレクチェ資材庫)


 

 

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